Train Of Thought – Yamazaki

空気を読んでいては、空気は変わらない –

長らくここ日本では一部を除き、
世間一般や音楽シーンに於いてまでも、
誰が創出しているとも想像しないまま”空気”を読んで政治的発言を控える傾向があると感じる。
それには様々な要因や理由があるのだろうが、
多くの場合、自己保身や処世術といった観点から公権力や権威勾配上位者に物言わぬ姿勢で居る事が、
“賢い選択/大人な選択”であると、
各自が自分自身に言い聞かせ、言動を抑制して来たからなのでは無いだろうか?

各自の生活と直接の関係が無いと無関心で居る事を続けている間、
全体主義のドグマを端的に表す”行き過ぎた個人主義を解消すべし”という標語の下に、
公権力は個人の人権を削ぎ監視し弾圧できる社会作りを着々と進め、
現在のコロナ禍中、核兵器使用を示唆し、原発の危険性をも顕にする現在進行形の侵略戦争を目の当たりにしながらも、
一部政治家や経済団体や体制派インフルエンサー等は、
核廃棄物問題も未解決で一度電源喪失してしまえば多くの犠牲者を出す原発の再稼働や推進を、
また、使ってしまえば一瞬にして多くの人命を奪う核兵器の共有(勿論核兵器にも核廃棄物問題は付いて回る)を
“抑止力”であると提言し、軍拡に賛同する人々も多数存在する。
各自がこういった空気に抗わず、従って行き付いた先が侵略戦争を引き起こす原因の一つであると考える。

各々の個人の権利と自由を尊重する個人主義が行き過ぎているとするならば、
当然各々が利己であると同時に利他でもあり、
見知らぬ誰かの個人の権利と自由をも尊重し助け合う素晴らしい社会である筈で、
誰もが見知らぬ誰かの個人の権利と自由を奪い得る戦争や兵器、軍拡、原発、労働問題、格差、差別等に反対する事だろう。
要するに現在”行き過ぎた個人主義”なんて存在せず、
個人主義の間違った解釈を広め、
個人主義を剥奪しようとしている権力者層とそれに同調する支持者層が幅を利かせている状態であると考える。

国家や企業や既存の権威や権力構造や格差を尊重するのでは無く、
自分自身だけでも無く、見知らぬ誰かの個人の権利と自由をも想像し尊重して、
各々が生き辛い社会の空気に抗って声を挙げ、
問題があれば意見を出し合い、論破スタイルではないフェアな議論でシステムを変えて行き、
助け合って誰もが生き易い世界に一歩でも近づけて行こう!!!戦争反対!!!

Yamazaki Helvete (AXE HELVETE)

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