核兵器禁止条約はなぜ重要なの? 広島県原爆被害者団体協議会 -佐久間被団協- 佐久間邦彦氏 インタビュー

2021年5月7日、今年も広島市中区堺町の被団協へ伺いました。
核兵器禁止条約の発効に被爆者して大きな力を尽くしてきた被団協、そして佐久間さんに条約について、そして今後の事について聞かせていただきました。

interview by 大小田伸二 aka GUY

大小田伸二(以下G):お久しぶりです。今年もよろしくお願いいたします。今回は核兵器禁止条約に焦点をあててインタビューしたいと思います。

佐久間邦彦さん(以下敬称略):まずはNPT(核不拡散条約)について話さなければなりませんね。これを知っておかないと核兵器禁止条約が何故出来たのか分かりにくいですからね。
NPT条約は出来てから、去年(2020年)でちょうど50年になりました。
1970年に条約が発効して25年間の期限付きで導入されていたが、25年目にあたる1995年にNPTの再検討・延長会議(5年おき)が開催され無期限となり、今日に至るわけです。
国連の元、核保有大国5カ国が中心となって核兵器の不拡散と削減をやってきたのですが、参加国で非同盟諸国(注1)の中からこのままではいけないという意見が出始めました。核兵器自体を無くさないと核戦争はなくならないということを非同盟諸国が訴え始めたんです。広島、長崎の被爆者がこれまで訴えてきた核廃絶への思い、そして被爆の証言が多くの国に受け入れられてきたのだと思います。

核兵器禁止条約は核兵器の「違法性」と「非人道性」を明記し、核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用はもちろん使用の威嚇を含むあらゆる活動を禁止した国際条約であり、NPTに足りない部分を補う条約です。NPTでは保有を許されている5核保有国(米、ロ、英、仏、中)も核兵器禁止条約では、すべての国の保有も認めないという画期的な条約なわけです。
核保有国も非核保有国も国際規範となったこの条約の下で核廃絶について真剣な議論をしていく時代になったのだと感じています。

:条約を受けてのこれからの被団協の活動を聞かせてください。そして条約をより有効にさせる為に私達が出来ることを教えてください。

佐久間:我々被爆者も核の恐ろしさ、実態をこれまで以上に世界に広げていかなければならないと思っています。伝承制度も含めて未来に平和を訴える若者も育てていかなければならないし、長期的に見て考えていかなければならない事柄だと思っています。
核兵器禁止条約が発効されたから、即核兵器のない平和な時代が来るわけではないことは理解しなければ成りません。
あくまで条約は核兵器の終わりの始まりです。その出発点に立てた私達が発効を受けて条約をどう発展していくかということを考えることが重要だと思います。まずは、現在54カ国の批准国をもっと増やしていき、全ての国が核兵器禁止条約に参加するようにしていかなければならないと考えています。
そのためにはどうしても日本政府に批准をしてもらわなければなりません。それだけ日本政府は大きな鍵を握っているんです。唯一の被爆国である日本が参加すれば参加する国も次々と現れるでしょう。その為には私達国民、市民が政府に批准を訴えていくことが必要です。私達はこれまで街頭を中心に批准を訴える署名を募っていたのですが、コロナ禍の今では街頭での署名は難しい部分もあり、そのかわりネットで呼びかけることはできますし、同じように団体同士の会議もリモートで重ねていきたいと思っています。
日本被団協では田中熙巳代表委員を中心に集会を開催して、政府に批准を求めました。同じように個人、団体が運動を起こして政府に求めていくことが大切だと思います。例えば皆さんが自治体や首長さん、各国大使館へ直接電話やファックスを使って訴えるのも効果的な手段だと思います。

:先日の広島県参議院再選挙でも、核兵器禁止条約の批准が大きなテーマとなりましたね。

佐久間:(当選された)宮口治子さんは街頭での演説はもちろん、政策として核兵器のない世界を掲げてましたからね。批准についても国会で討論すると言われておりました。他の候補者も当初は言わなかった条約について後半では話してましたしね。そういった流れが自民党支持層のひとでも核廃絶をより明確に目指している宮口さんに投票させたことに繋がったのだと感じています。

:秋の選挙で、核兵器禁止条約への批准が争論の大きなひとつになれば動きが加速するかもしれませんね。

佐久間:そうなることを期待したいですね。

:核兵器絶を唱えながら核の傘にいる二重基準があることが今回の政府の姿勢から多くのひとに伝わったと感じています。政府は一体どうしたいのでしょうか?

佐久間:先日のバイデン大統領との首脳会談の件もありますしね。(P注参照)
核保有国やその同盟国の中でも核兵器禁止条約は必要だと言っている議員は結構いるんですよ。肝心の日本政府がそれに気づいていないのか、気づかないふりをしてるのかわからないですがね。
日本政府は橋渡しをすると言っても現時点では条約反対の立場にあり、両者の間を取れるはずがないと思うんです。

:広島市、広島県の対応はどうなのでしょうか?

佐久間:広島市、そして広島県も政府に批准を求めています。(広島市2020年11月20日、広島県2020年10月25日)
しかしながら残念な面もあります。先日私は県原水協と一緒に市の平和推進課へ伺った時のことです。
発効を受けて、市をあげて歓迎してほしい、庁舎に懸垂幕を掲げてほしいというお願いに行ったのですが市の返答はホームページ等で禁止条約について掲載しているから懸垂幕まであげる必要はないということでした。天草原水協主催で、熊本県上天草市の市役所庁舎で条約歓迎の懸垂幕が掲示されたこと(2021年1月22日)を受けて広島でも是非、という気持ちでしたし、広島市民でも禁止条約を知らない人が沢山いるのだから市が率先して動いてほしいと伝えたのですが、受けてもらえませんでした。残念です。

:是非とも被爆地である広島の市役所には懸垂幕をあげて条約を歓迎していただきたかったです。ところで昨年、TVニュースで広島市が平和条例(注2)の素案を発表したのを知ったのですが、核兵器禁止条約については明記されているんでしょうか。

佐久間:核兵器禁止条約についての明記はありませんね。
私自身、検討会の傍聴に行きました。事前に多くの市民にパブリックコメントを公募する中で核兵器禁止条約についての我々市民の想いも伝わっていたと思ったのですが、市議会の中で平和条例の内容は既に決定されており、こちらの意見を言うことはできません傍聴のみです。昨年の平和宣言の中でも松井市長は核兵器禁止条約の批准を求めておられましたし、市ホームページでも発言されていたので、条例の中に明記されることを期待していたのですが残念でなりません。今こそ被爆地広島、そして長崎が条約発効を廃絶に向けた大きなチャンスとしてどんどん発信していかなければならないと思います。

保守王国と呼ばれる広島であっても市議会議員それぞれが政府に忖度なしで条約に対して賛同してもらいたいですし、広島市としても批准に対しても政府へもっと積極的に働きかけていただきたいと思っています。

:私も今冊子、そして音楽を通じて核兵器禁止条約、そして核廃絶を大勢の方に伝えていきたいです。それが世論に繋がる事を信じています。

佐久間: 其々が其々のやり方で核兵器廃絶を訴えて続けていけばよいと思います。
音楽家は音楽で、演劇家は演劇を通じてというようにね。文化的な面だけでなく、スポーツにしたってそうです。
古い話になりますが(1964年)東京オリンピック時にメディア関係のボランティアをやったことがあるんですね。
その時に聖火最終ランナーに選ばれた坂井さんはメイン会場での点火で世界中に平和を発信しました。(注3)
こうしてあらゆるジャンルと平和が融合していくことが重要だと思います。
自分達の思いの中にいつも核廃絶はあると思うんですね。それは条約が出来たこととは別に、誰もが持っていることだと思います。憲法も同じだと思います。憲法自体、核廃絶同様、自分達の精神にあるものだともおもうんですね。
2015年、安保法制(集団自衛権)の問題を通して憲法というものをあらためて考えた人も多いと思います。
そういう意味でも今年、核兵器禁止条約も発効された今が1番受け入れやすい時期だと思っており、これからも条約の事を、より多くの方々に伝えていきたいと思っています。被爆者はもちろん歓迎していますが、それだけで終わってはしょうがないですからね。
例えば、私達は何もできないということを考えているひとがいるなら、趣味や好きなことを通して繋がる平和というものを見つけてほしいと思っています。
核兵器の問題だけでなく、温暖化の問題にしてもそうですよね。グレタさんが言われたことは、未来のためにいらないもの無くしていくことだと思うんです。核兵器もいらないようにその二つは繋がっています。同じように考えて行くテーマというものは無数にあると思うんです。未来をどうするかということは全て繋がっているんです。そうして全てが繋がることで自分達の世代では無理だとしても、未来では実現出来る考えを持つ事で道は開けると思うのです。

:この冊子を読んでいる読者のみなさんにメッセージをお願いします。

佐久間: 「to future」は未来へ向かう為の冊子と理解しています。
未来に向かって今をどう生きるのか?自分達にとってあるべき未来とは?ということを考えてほしいと思っています。読者の年齢層は私よりだいぶ若い方が多いと思いますが、平和、そして未来を考える上で年齢は関係ないと思っています。この冊子を読んで、私達の経験を通して学べることは学んで欲しいし、自分達の将来的である未来について自分達の主張をちゃんと持って、これから頑張っていただきたいと思っています。


※注1:第二次世界大戦後の東西の冷戦期以降に、東西のいずれの陣営にも公式には加盟していない諸国による国際組織である。1961年に設立され、2016年の時点で参加国は120にのぼる(wikipediaより引用)

※注2:
被爆75年を迎え、被爆者の高齢化が一段と進み、被爆体験を直接聞き知る機会が失われつつあるという現状があり、これから年月が更に経過するに連れて、市民の中の被爆体験の風化と平和意識の低下・希薄化が危惧されます。こうした中、平和の推進に関する施策は、本市にとって、将来にわたって継続して推進していくべき重要な施策です。このため、平和の推進に関し、本市の責務と市議会や市民の役割を明らかにし、本市の施策の基本となる事項を総合的に定める条例を制定することにより、行政と市民が一体となった平和の推進に関する施策の総合的な推進を確保するとともに、本市自らに対してこの施策の実施に係る義務を課し、この施策の継続的な推進を確保しようとするものです。
(広島市ホームページより抜粋)

※注3: 坂井 義則(さかい よしのり、1945年(昭和20年)8月6日生まれ
「平和」こそ、敗戦で傷つき、復興を目指したニッポンが、聖火に織り込んだメッセージ。
ギリシャ・オリンピアから運ばれた聖火は、まず米国占領下の沖縄に到着した。そして、聖火台に灯をともす坂井に「ヒロシマ」が重ねられた。四五年八月六日、原爆が広島に落ちたその日、坂井は広島県内で産声を上げた。海外メディアは坂井を「アトミック・ボーイ」と呼び、国内メディアは「原爆の子」と訳して広めていった。

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