不撓不屈 -NEVER GIVE UP- 坪井直氏を偲ぶ

坪井 直(つぼい すなお、1925年5月5日 – 2021年10月24日)
日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県原水爆被害者団体協議会理事長。広島市名誉市民

1945年8月6日、爆心地から1.5kmの地点で直接被爆を受け、瀕死の重傷を負いながらも生き延び、戦後教職の道を歩まれました。以後定年までずっと毎年夏に8月6日の被爆体験の話を 教え子たちに伝え続けられたと聞きました。
教職引退後は被団協の事務局長を経て2004年に理事長に就任し、初代理事長である森瀧市郎氏の遺志を引き継ぎ、核廃絶と被爆者援護の両輪で被団協を牽引し様々な平和活動を続けて来られました。
日本被団協代表委員に就任した2000年、米ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、本部前で核兵器廃絶を訴えるなど「被爆地ヒロシマの顔」として廃絶運動を先導されました。
2016年5月にオバマ米大統領(当時)が現職として初めて被爆地を訪問した際には、被爆者代表の一人として平和記念公園でオバマ氏と面会され、約1分間握手を交わし核兵器廃絶に向けて「ともに頑張ろう」と話しかけたことでも知られています。

坪井さんとの出会いはTO FUTURE ZINEのインタビューを最初に依頼した2007年。TVでしかお見かけしたことがなかった自分には反核の怖いお爺さんの印象しかなく、当時の素人に毛が生えたような自分の活動と知識について叱られるのではないかとビクビクしていましたが、実際にお会いするとすごく気さくな方で、反戦、反核以外のお話もたくさん聞く事が出来ました。大いにユーモアにあふれた方でもありました。冊子の性質上その部分は除いて掲載しているのですが、今思うとそのユーモアにあふれた言葉こそ、原爆に直接遭われながら最前線で活動してきた坪井さんのお人柄が伝えられたのでは、と悔やまれてなりません。
タイトル の 「不撓不屈、ネバーギヴアップ!」
これはインタビューのラストに毎回坪井さんに頂いていた言葉です。反戦反核をテーマにしたバンドが多いパンク、ハードコアに多大なる影響を受けてきましたが、よりリアルに坪井さんから影響を与えてもらったと強く感じています。
今冊子がここまで続けることが出来たのは坪井さんの影響なしには考えられません。

より多くの方に坪井さんの歩まれてきた道を知っていただきたいと思い、坪井さんに長年続けてきたインタビューの一部をこの度掲載いたします。

Guy:大小田伸二(TO FUTURE PRODUCTION代表)

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