広島が切り離されたG7広島サミットを見て、私が核廃絶に思うこと - 田中美穂(核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)共同代表)

カクワカ広島は、広島選出または広島にゆかりのある国会議員に直接会って、核政策についての姿勢、特に核兵器禁止条約についての考えを尋ねる活動をしています。2019 年1 月の発足以来、これまで18 名中12 名の国会議員のみなさんと面会することができました。得られた回答は、選挙のとき投票の判断材料にできるようにウェブサイトやSNS にアップしています。また、市民の私たちが核兵器の問題を自分事として捉え行動に移すことができるように、選挙の際は候補者全員にアン
ケートを行ったり、数ヶ月に一回のペースでイベントを開催したりと、さまざまなアクションを企画しています。


 今年5 月、G7 広島サミットが開催されました。
平和記念公園の周囲にはフェンスが設置され、街中には夥しい数のパトカーや警官ーーー。いつも日常の中にあった光景がとても遠くに行ってしまったような感覚を覚えました。サミットの数日前、平岡敬元広島市長や「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の森滝春子さんが登壇されたイベントに私も参加させていただきました。イベントの中で森滝さんが「また悲劇は起こると思う」とご発言されたのが私の中に深く、重く残っています。サミット開幕を前に、長年核廃絶に人生を捧げてきた方からのこの言葉を、岸田さんは、首脳たちはどう受け止めるだろうか、と考えていました。 G7 が近づくにつれ、海外メディアからの取材も多く受けました。正直G7 という枠組みに世界からの注目は集まらないというのが現状だと思いますが、それでも各国のメディア関係者が広島を訪れ、その目で見たものを自国に持ち帰ってくれることに私は期待したいと思っています。ドイツのメディアとのやり取りで印象的だったことがありました。G7 サミット中に中心部で行われるデモには何人くらい人が集まるのかと聞かれたので「300 人くらいかな」と答えると、「3000 人の間違いじゃなくて?!」ととても驚かれたのです。私は300 人でも多いくらいだと思って答えたのですが、声を上げることが当たり前の国では、この機会を十分に生かさない市民がとても不思議に映ったようでした。他にもスウェーデンや台湾など、様々なメディアの人々とお話しし、この日本社会で声を広げていくためにはどうしたらいいだろうと、アクティビストの命題のようなものをずっと考えていました。


 そしてサミット初日、G7 首脳たちが原爆資料館の見学、被爆者との対話、そして慰霊碑への献花をしました。期間中、私は多くの時間を平和公園近くに設置されたNGO スペースというところで過ごし、そこから献花の様子を映す中継も見ていました。首脳たちの表情からは、資料館と被爆者との対話、場の持つ力から何かを感じ取ってもらえたのではないかと期待していたのも事実です。しかし、その日の夜に発出された首脳声明「広島ビジョン」には、核兵器の使用や保持、威嚇を禁じた核兵器禁止条約への言及はなく、「被爆者」という言葉もありませんでした。資料館訪問や被爆者との対話は実現しましたが、その時間がとても限られたものであっただけでなく、それがあったからこその言葉がビジョンに全く出てこなかったことに落胆しました。


 G7 期間中は、広島の現地からのオンライン中継にも携わりました。国際交流NGO ピースボート、KNOW NUKES TOKYO、そしてパルシステム生活協同組合連合会が共催するYouTube ライブ配信での、広島からの現地レポートをカクワカメンバーと務めました。視聴者は主に都市部に住む人々であることが予想されたため、全国放送のニュースでは中々伝わりづらい現地の温度感や目にしたものをお話しさせていただきました。私自身、カクワカの活動を始める前は核廃絶の問題に対して自分に何かできることがあるなんて考えたこともありませんでした。象徴的だったとあとから気づいたことが、2016 年オバマ元米大統領の広島訪問のときのことです。私は当時学生で、福岡にいたのですが、オバマ大統領と被爆者の方が抱き合う様子をテレビで観て、なぜか勝手に感動し、これで核廃絶に向けて世界が動けばいいなと思ったのを覚えています。今振り返ると本当に他人事のように考えていたと感じます。でもその当時どうにかしたら自分からそのことに気づけたかといったら正直自信はありません。広島に来て、被爆者や活動を続ける人たちの言葉を聞いて初めてこの問題を知り、私も動かなければと思ったのです。
だから、今度は私がそういう声にならないと、と。現地からのレポートでも誰かに届けばいいなと思って話していましたし、そんな思いでいつも活動しています。


 サミット自体は、正直予想通り残念な結果でしたが、良い面もありました。それは、核廃絶だけでなく、さまざまな社会課題に向き合う全国のアクティビストたちと広島で出会えたことです。普段記事や動画を通して知っていた人たちと直接お話しすることができ、核兵器の問題との繋がりや、アクティビズムへの思いなどを語り合いました。社会問題の交差性(インターセクショナリティ)を言葉だけでなく人との触れ合いを通じて実際に感じられたこと、そして社会問題に声を上げる仲間のつながりが広がったことがとても嬉しいです。
また、彼らの中には広島だけでなく過去世界各地で行われたG7 サミットに参加したことがあるという人たちも何人かいました。彼らによると、今回のサミットはNGO、市民が切り離されるようなつくりになっており、日本の市民活動に対する捉え方が改めて浮き彫りになったということでした。
海外のサミットでは、NGO スペースとメディアセンターが横並びに設置されており、市民の動きがより取り上げられやすいようになっているそうです。今回初めてG7 に関わりを持った私はそのような対応の違いは教えてもらうまで気づきませんでしたが、NGO スペースの会場となった建物にはエレベーターがなく、車椅子の方が自力では2 階に上がることができなかったことなども考えると、そういうことかと悲しくも納得できてしまいました。ドイツの記者からも驚かれたように、まず市民による運動そのものの必要性とパワーを社会が再認識し、厚みを増していく必要があるとひしひし感じています。

 サミットの最終日にはNGO スペースの前でスタンディングアクションをしました。アクションで掲げたポスターには「祈るだけでなく行動してください」という被爆者のサーロー節子さんのメッセージを書きました。そして偶然にも、そのアクション中に、記者会見を控えたサーローさんが前を通られて、「頑張ってるね」と声をかけてくださったのです。本当にあのときの気持ちは言葉にできません。もっと声をあげなければ、と思いました。
 サミットを終えて「歴史的一歩」という声が多く上がったように感じていますが、この結果を簡単に「一歩進んだ」と受け入れることには抵抗があります。核廃絶を願い、声を上げ続けてきた、そして無念の思いで亡くなったヒバクシャの存在に敏感になるべきだと思うのです。彼らの苦悩を経験せずに済んでいる私は、核廃絶から目を逸らし続けている為政者に訴え続けます。誰かの犠牲の上にしか成り立たない安全保障体制に居心地の悪さを感じてください、祈るだけでなく具体的に行動してください、と。


 できるはずがないと言われ続けてきた核兵器禁止条約が2021 年1 月22 日に発効し、「核兵器の終わりの始まり」として確実に世界を変え始めています。時に変化が得られず、社会の不条理に落胆してしまうこともありますが、まずは自分が変化の一部であり続けようとすることを忘れずにいたいです。次のマイルストーンは今年11 月から12 月にかけて開かれる第二回核兵器禁止条約の締約国会議。条約に参加している国が条約の詳しい規定や運用方法などについて話し合う場ですが、条約に入っていなくてもオブザーバーとして参加することができます。昨年の第一回会議にオブザーバー参加しなかった日本政府に対して、今度こそ参加してほしいと訴えていきます。核なき世界を目指すと言いながら、核兵器を全面的に禁止した条約には関わらないという矛盾を、より多くの人に感じてもらい、一緒に声を上げていきたいです。
問題をそのままにすることも、社会を変えることも、私たち一人ひとりの選択にかかっています。核兵器のない世界を「当たり前」にできるかどうかも私たち次第です。サーローさん曰く、「平和は祈るものでなく、自分たちで作り続けるもの」。私は具体的な行動をこれからも積み重ねていきます。
みなさんもぜひ、核なき世界という新しい当たり前を実現するための仲間になってください。

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