〈世界〉との、違う道をいくつもつくるということに向けてHiroshima G7 についての考察にかえて - 東琢磨(音楽評論家)

0:「原爆の破壊力によって、古い日本人の思想はどのように破壊されたのか、あるいは破壊されなかったのか」(山代巴)
 

住まいも職場・職業も、G7の影響を多大に受けるところ(場所・性質)であったのは、これはもうある意味、なんらかの務めを果たせということなのだなと途中から思うようになった。
「務め」とは? もちろん、正体不明で、私なぞは入れてももらえないだろうような「広島県民会議」にいわれる通りに歓迎することではないし、ずっと「敵」としか見なしてこなかったサミット体制に何かを期待することでもない。
 むしろ、この「ヒロシマ」の崩壊するさまを、一方で、まったく予想すらしないところでの新たな胎動もしたたかにあるだろうことを、見つめ続けるという「務め」だ。
 住まいの近所では、かなり早い時期から夜中に道路工事が続き、正体不明の「県民会議」に歓迎を強要される。個人的には文句を言いながらもG7関連の業務にも従事せざるをえなかった。しばらくすると、これまた早い時期から警官だらけの国際平和文化都市になり、平和公園はいつのまにか東京都になったかのように警視庁のジャンパーを着た警官たちが並ぶ。 徐々に、そうか、オバマ歓迎により平定された広島は既に、新しい冷戦のなかでの一方の軍都になってしまったのか。さらに1894年頃の空気はこうだったのかと、ある時点からしっかりと観察しなければと根性を決めた。 現行の国家群を仮の対立構造で分け、民主主義democracy 対 権威主義 authoritarianismだなどという報道論説もかなり目にしたが、お笑い種だと思う。どこから見ても、これぞまさに権威主義だろうという光景が広がっていた時間だった。 正直、反核運動家や被爆者たちの方々の、「期待する」「やる以上は(協力する)」などという言い方は、私の理解の範疇を越えていた。何を期待したのかはわからなくはない。しかし、問題はなぜ期待することができたのか、ということだ。 現在に至る地点からたどりうる最も近い過去は、やはりオバマ来広の際の反応だったのだろうと思う。春先ぐらいの時点でも、メディアや運動の関係者のあいだでは、オバマ来広の際の反省が必要だ、という声は出ていた。しかし、その辺と近年の広島県をまさに震源のひとつとするような国内の政治状況を重ね合わせれば、そもそものサミット体制なるものの、民主主義とは大きく乖離あるいは背理したあり方を差し引いたとしても、期待できる方がおかしいとは思わなかったのだろうか。
 抗議した学生が、警視庁の通称「鬼の四機」なる機動隊に制圧、逮捕される一幕も、運動慣れした人間からすればお決まりにも見えてしまいもするが、しかし、そこへの連帯の声もあまりに小さくはなかったか。

1:「ミサイルによる戦争は、石弓による戦争よりも良くも悪くもない。常に問題になるのは戦争なのである」(ジャン=リュック・ナンシー)


 サミットの歴史とは、そのまま人びと(peoples)による、抵抗と抗議の歴史である。これは現代運動史の常識であるといってもいい。「民主主義の機能不全」などということがいわれるようになって久しいが、そうした象徴としてサミットはあり続けてきた。
 国家を越える新自由主義とグローバリゼーション。そのなかで、覇権を維持しようとする国家という枠組みそのものと、そのなかでの旧体制のグループによる実は非公式な会合がG7であり、時にフレーム、構成メンバーを変えるサミットなる体制だ。
 そういう意味では、驚くほどの古臭い政治体制が、サッカースタジアムに代表されるようなジェントリフィケーションを活発化する新自由主義と手を結んだ広島は、今の時点でのサミットには十分にお似合いであり、核問題がどのように組み込まれてしまうかは目に見えていたはずなのだ。
 私自身、明確に核廃絶と反原発の立場には立っているが、とはいえ、かなり大がかりな思考の刷新が必要なのではないかとずっと考えてきた。その場合に、広島の経験は、単に継承されるだけではなく(その不可能性に関しての議論も含め)、かなり強く反省される必要もあるはずだ。今回、まさにそうだが、敗北からも学ぶということは極めて重要なはずだ。
 核問題にとどまらず、世界は不正義と不条理に満ちている。しかし、私たちは、さまざまな土地で、かつても今も、広島とは異なる闘いをたたかっている人たちを知ることもできるし出会うこともできる。 核問題にしても、原発事故というあってはならない事態を通して、ようやく私たちは「平和利用」なる言説の影にあった現実に気づくことになったし、近年いわれる「グローバル・ヒバクシャ」というフレームに入る人たちのことを知ることもできる。 内戦/民族紛争、軍政による圧政、他国への侵攻といった「戦争」とたたかう人たちとも交信可能だ。

富の分配の不公正、教育の歪み、性差別(男女差別にとどまらない)、民族・人種差別といった問題(この国では、入管、移民/難民受け入れ問題として端的に現れる)は、現在の日本でも生々しく、かつ、即座に治癒しなければならない私たちの社会の傷としてある。天災から「復興」という人災へと転じている場所に生きる人々もまた私たちの社会のなかにあるだろう。 さまざまな現場のアクティヴィストやアーティストに出会う機会が私にはあるが、彼ら彼女らは、特に核問題に限定されているわけではなく、巨大な不正義がおこなわれた「広島」という場所に、あたかも巡礼に訪れるかのように訪ねてきてくれるのだ。 ここ数年でも、友人を介したりしながら、ユダヤ、ロマ、クルド、インドネシア、チリ、スリランカといった人々のことを学んだり交流する機会があったし、ガイさんによる、世界のパンクの歴史と現状の紹介活動にも多くを学び勇気づけられてきた。 そうだった。私はものを書くという仕事は、音楽について書くことから始めている。今も肩書きを「音楽評論家」ともしてはいるが、社会や政治についても言及する音楽評論家がいてもいいだろうというだけではなく、音楽を通して〈世界〉と出会い、「ヒロシマ」ともまた音楽を通して出会い直し続けているからだ。現実には今、何も力がないように見えるものこそが、事態や未来を変えていく。狭い文化観ではなかなかに見えてこないかもしれないが、世界はそんな音楽という営みにも満ちている。非日常というよりも、消えてしまった過去やありえるかもしれない日常への夢だ。 よく口語的な表現でこんなことをいいもするだろう。「いつまで裏切られたとかいってるのか? 前の戦争の時も言ってたよね」「どっちを向いてる?」。G7を巡る時間の広島で思い起こしていたのは、こういうシンプルな問いでもあった。

2:「戦争は人間のしわざです」(ヨハネ・パウロ2世)

 核兵器の問題は、戦争というまず至ってはいけない状況の、そのなかでの最大の暴力を可能にするものとしてある。「究極」であるがゆえに先送りができる。先走っておいて、先送りにし続けているわけだ。前世紀の二つの世界大戦は、ヨーロッパの戦争が、帝国主義・植民地主義によって世界化したと捉えていいが、その最終地点に、究極のジェノサイド(皆殺し)が待ち受けていたことに、世界が、当のヨーロッパが震撼し反省することから、前世紀の後半は始まったのだった。しかし、その始まりは、同時に冷戦の始まりであり、ヒロシマ・ナガサキを経た人びとは、新たな恐怖に覆われたのだった。
 この恐怖は、二つの真逆のベクトルを描くことになる。核抑止力論と核廃絶論だ。そのせめぎあいのなかで、核兵器は長く実戦で使われることはなかったが、核抑止力論の虚妄を自ら明らかにしたのは、アメリカによるイラク開戦だった。核兵器がある、核開発を行っているということが戦争の口実となったのだった。のちに嘘であったことが明らかになるが、嘘をついてまで攻め込んだわけだ。そこでは、「核兵器ではない」とされる大量の劣化ウラン弾も使用された。劣化ウラン弾は、材質に放射性物質を使用することで硬度を高めているが、爆発の仕組みに核融合が使用されているわけではないこと、また、放射性物質による被曝影響が極めて軽微であると主張されていることが、「ではない」ことの理由にあげられている。
 さて、問題は、最大の効果を生むことが核兵器の脅威であるとしても、核兵器が使用されるかどうかは関係なく、戦争はある、ということだ。さらにいえば、メタファ的な謂いではなくも、経済戦争も既に低強度な戦争である。戦争状態にないなかでの貧困問題・格差問題なども戦争であると見做しうるということだ。だからこそ、先に述べたように、核兵器の被害とは直接関係ない場所の人びともまた広島を訪れてくれるのだ。ここ(広島)の人びとであれば、私たち(彼/彼女ら)の問題や苦悩を共有(むしろ分有というべきか)してくれるだろうと。
 9.11の直後に、主として、ニューヨークのミュージシャンたちから、「このままでは報復戦争が開始される。世界中の人たちの力でアメリカ政府を止めてくれ!」という悲鳴のようなメールが殺到したことを、ちょっと前に、ある機会があって思い出していた。
 にもかかわらず、戦争は開始されたのだが、今にして思えば、あの戦争は、核抑止力論の虚妄を覆い隠すかたちで、報復という、これまた実のところはあってはならないものですら正当化しつつ(それを攻撃された土地のミュージシャンたちは恐れていたわけだが)、先制攻撃という抑止の新しい形態へと突き進んだものだった。
 現在の日本の敵基地攻撃能力という理屈はそこに淵源があるかもしれない。また、ひょっとしたら真珠湾攻撃にもあるかもだとも考えている。だからこそ、頭ごなしの「和解」も成立したのだろうとも。
 広島が、核攻撃を受けた土地であるがゆえに、核廃絶を唱え続ける責務があることは引き受け続けていかないことだと思う。
 しかし、論点や効果の整理は、繰り返すが、かなりの努力を払って刷新していかないといけないのではないか。最大に至る、無数の最小の道の入り口に神経を研ぎなおし、受信・交信の場として、自らを集合的に生成変化させていく必要性だ。

3:「というのもデモクラシーは、権威の原理にもとづく統治に利用される政治の概念そのものを破壊するようになるからです」(ジャック・ランシエール)

 さて、G7に戻ると、蓋を開けてみると、私の経験上、思い出したものにはまず大喪の礼がある。
同時に、国際国家権力見本市だなと。今回の警備のため、特別に警察庁から県警本部長へと異動してきた人物がいみじくも「見せる警備」といっていたが、この見本市は、昭和天皇の喪に服すことを強要された大喪の礼同様、権力そのものは見せないものとしてありながら、警備という国家権力の装置を見せつけることに主眼が置かれていた。
 メディアセンターでは、県民会議協力企業のものだろう、マスコミ向けのみに見本市会場と化していたようだが、privatization(現代日本語では「民営化」と訳されるが、意訳すれば「私物化」とも訳しうるだろう)そのものだったわけだ。
 「歓迎」の美名のもと、警備による交通規制などの受忍を押しつけながら、自分らは宣伝に励んでいるわけで、それこそ、エッセンシャル・ワーカーなどからすると噴飯ものといってもいいだろう。その経費にしろ、税金から出ているのではないことを祈りたいが、いずれにしろ、消費者に価格というかたちで転嫁されるわけで、即座に県民会議関連企業のボイコットすら呼びかけたいところだ。


 大喪の礼を思い出したのは、その警備の異常さからというのが大きいが、しかし、何かが葬られてしまったのかもしれないともいってもいいのかもしれないとすら思わずにはいられない。それが何かはあえて書くまい。
 その警備、特にメディアセンターの警備には、大阪府警が中心となってあたっていたそうだ。これからあることになっている「あれ」の訓練・演習の意味もあったのではとも言われている。
 その「あれ」。 1970年の大阪でのそれは、子どもだった私も家族と行って楽しかった記憶があるのだが、「博覧会」の歴史を、「人間の展示」という側面から見直す動きもある。文字通り、少数民族の人びとなどを「展示」してきたという恥ずべき歴史だ。自らの力を誇示しつつ、弱い者を丸裸にしていく、そういうあり方が、今回のG7の光景とセットにしてみると、ありありと感じられるだろう。
 その「展示」された人びとは、現在の政治哲学などで、「残りもの/残りのもの」などといわれ、英語ではthe restとあらわされる人びと・地域に相当する。安直に使われているグローバル・サウスにも、いわゆる先住民(台湾では原住民)にも相当するが、なんのことはない、私たちもまた「残りもの」だ。沖縄戦の後、沖縄で生き残っ
た人びとは、自分たちを「艦砲ぬ食えーぬくさー」(艦砲射撃の食い残し)と謳ったことも思い出してもいい。また、レストハウスの、レスト・イン・ピース(安らかに眠れ)」のrestでもある。深い語源的には、時間にしろ空間にしろ、ものにしろ人にしろ、力や動きや所有とは別の様態という意味合いがあるのだろう。 

そのうえであらためて、民主主義と、そして、現代日本語ではなくデモクラシーと書いてみる。
実は主義でも制度でもない。先に掲げたジャック・ランシエールさんの文章からも、G7で見せられたのとはまるで異なる光景が広がっていくだろう。
 晒され、奪われ、丸裸にされ、裏切られ、それでもまったく声をあげるとすら思われていなかった人びとが声をあげること、それがデモクラシーだ。私たちの身近で体現し続けてきてくれた存在として、『はだしのゲン』終幕近くでの勝子の姿を想起してもいいだろう(汐文社コミック版第10巻、238~243ページ)。
 広島にとって、核廃絶は究極ではない。もちろん、法/条約レベルの使用禁止だけではなく、物質としてどうするのかまで含めると、遠い究極ではあるだろう。しかし、あえていおう。核廃絶など、小さな入口の一つにすぎないのだ。無数の道で、〈世界〉とつながっている。可能なこと、やるべきことは、山のようにある。
 そして即座に、厳しい公民権運動のなか、障壁のある恋をめぐるラブソングに見立てながら、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」と謳った、マーヴィン・ゲイとタミー・テレルを想起しておくべきかもしれない。そんなの、たいした山じゃないな、と。
〈参照文献 Further Reading〉
※本文、登場あるいは関連順
山代巴(編)『この世界の片隅で』、岩波新書(青版)、1965年/2017年
ジャン=リュック・ナンシー、加藤恵介訳、『複数にして単数の存在』、松籟社、2005年
Hideki Takahashi,、『Asian Punk』、BronzeFist Records
ペドロ・アルペ、緒方隆之訳、『一イエズス会士の霊的な旅』、教友社、2015年
Sophie Lemiere, ed. “Illusions of Democracy :Malaysian Politics and People Volume II”, SIRD,2017
ジャック・ランシエール、松葉祥一訳、『民主主義への憎悪』、インスクリプト、2008年
ジャコブ・ロゴザンスキー、松葉祥一編訳、『政治的身体とその〈残りもの〉』、法政大学出版局、2022年
ウェンディ・ブラウン、向山恭一訳、『寛容の帝国 現代リベラリズム批判』、法政大学出版局、2010年
浜昇『斯ク、昭和ハ去レリ』、ソリレス書店、2019年
小原真史『帝国の祭典 博覧会と〈人間の展示〉』、水声社、2022年
マーヴィン・ゲイ+タミー・タレル『ユナイテッド』、モータウン、1967年

Share this article

Recent blog posts

Related articles