とあるフィリピンパンクスとの交流 -FNB Philippines へのサポートの経緯 – Nae BronzeFist Records

FNB(Food Not Bombs) は、ホームレス、身体障害者、都市部の貧困層に無料のベジタリアンフードを提供する、全員ボランティアによる世界的な運動です。
高崎氏の寄稿(THE REBEL RIOT とミャンマーパンクスの今)の文中でも出てきましたが。ミャンマーのパンクスと同様、フィリピンでも貧困層に食料を配布するFNB はPUNKS によって続けられています。高橋氏と共に活動するNae さんにフィリピンでのFNBについて寄稿をいただきました。
( 大小田伸二 a.k.a. GUY)

2021年4月。パンデミックで世界がパニック状態
真っ只中の頃だった。
「日本のgigはどんな感じ?」
そんなメッセージから始まった、フィリピンパン
クスとのやり取り。
Facebookで繋がった彼はTon、30代男性。スク
ウォットに居住し、disgiyeraというD-beatパン
クバンドでドラムをやっている。
日本人女性(私)が以前と変わらない様子のライ
ブ動画をアップしているので、日本はどうなって
るんだ?と思い質問してきたようだ。

「少なくはなってるけど、gigやってるところがあるよ、フィリピンは?」と尋ねると、gigをやりたくて堪らないけど政府が集会を許可してないから難しいとのこと。以前より警察に踏み込まれないように会場の詳しい場所をSNSでアップするのを避けるなど工夫してライブを行なっていたが、そもそも当時はパンデミックで複数人の集まりでさえ禁止されていたようだ。彼らにとってDIYでオーガナイズするパンクのgigは、音楽を楽しむのはもちろんのだが、若いパンクスに政治の話や考え方を教える場でもあり、FOOD NOT BOMBSのアイデアを出し合う場でもある。また困ってる仲間を助けるためのベネフィットgigもよく企画するようだ。重要な活動の場である。


彼はストレートエッジではないと言うが、そのライフスタイルに影響を受けており、タバコ・酒・ドラッグ・肉食はしない。そのライフスタイルの思想もgigの場で共有するのだと思われる。
ともかく、そういった活動がまるでできなくてストレスフルな様子が伝わってきた。
Tonや仲間たちは、仕事にありつくのが難しいようで、当時のコロナ禍がそれに拍車をかけてお
り、その不満はドゥテルテ政権批判にしばしばつながった。
しかし、彼はネットで政権批判だけするだけのパンクスではない。
時間があればパッチやTシャツの版をカッター1本で作り、プリントし、とDIY活動に勤しみ、FOOD NOT BOMBS用の食糧を調達するため一時的に山中のファームで住み込みで働いたり、飲食店の余り食材を無料で提供してもらえるように交渉したりと、自身が定住する場所もないまま、満足な収入がない状態でも、弱者救済の精神は揺るぎのないもので、それが自分たちの年代のD-beatパンクシーンである、と語っていた。
(と同時に、自分たちより上の年代の「商業化」されたパンクス達への不満を漏らす事もあった。)
Tonとそんなやりとりをして数ヶ月。ある日「山の中でDIY gigをやったよ!」と写真を送ってきてくれた。日本ではバーやクラブでやるのだろうけど、僕たちはお金がないから発電機1つ
だけ、ギターや古いアンプを友達からかりて決行したんだ!と。
木立の中で木で組まれたステージにSQUAT FESTと白ペンキでかかれた黒いバナーが張られている。なるほど、こんな場所なら警察もこないだろう。


クラストパンツや鋲Gジャンのパンクスたちが30人くらいだろうか、文字どおり弾ける笑顔で楽し
そうに盛り上がってるライブ写真に胸が熱くなった。みんなパンデミックでため込んだモノを炸
裂、解放させている!日本にいて恵まれた暮らしをしている自分がなんとも面映い。
何かできることはないだろうか。
そしてさらに数ヶ月後、そのチャンスが巡って来た。そろそろ世界各地でライブが以前より活発に
なって来た頃だ。「こんどFood NOT BOMBSとGigをやるんだけど、僕たちのDIYシーンのサポートしてくれないかな?もちろんgigに招待するよ!」とメッセージとフライヤーがきた。
もちろん!サポートさせてもらうよ。いけないけど(笑)!
これが私にとって初めてのFOOD NOT BOMBSPhilippinesへのサポートになった。

以降、断続的ではあるが、彼らの活動を友人としてサポート(送金)している。
いつか必ずPhilippinesに渡航して彼らのDIYgigに参加する予定だ。


最後に。
Tonにはフィリピンのパンク事情を彼の立場から色々と教えてもらったが、その一つに「Anarchy in the Philippines」というドキュメンタリー映像がある。
当時のドゥテルテ大統領の麻薬撲滅戦争をパンクスの目を通して描いたドキュメンタリーだ。
麻薬撲滅戦争は麻薬に関わると思しき人物が抵抗すれば捜査当局が超法規的殺人=処刑してもいいというもので、2 0 1 6 年6 月以降の死者数は20,000人にのぼるとされている。
パンクスはその標的にされることが多く、Tonの友人もその被害にあっている。
自分の国でこんな事が起こってることを世界中の人に知らせたいと言ってこの映像のことを教えてくれたのだ。
そして2年後の2023年4月。
「Punk! The Revolution of Everyday Life」(通称・パンク展)で、これをBronze Fist Records主催の高崎英樹が日本語翻訳し字幕をのせたものを放映することが叶った。
ほんの少し責は果たせたような気がしている。
未見の方は、ぜひこれからも各地に巡回するパンク展で見ていただきたい。

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