坪井直氏2013年インタビュー(ToFuture2013)

■2013年7月16日午後、今年も坪井さんにお話を伺うために平和会館を訪れました。
いつもの笑顔で迎えていただき、談笑をしながらもリアルなお話が始まります。今回のインタビューもとても興味深い内容となりました。

GUY:4月24日、スイスのジュネーブで開催された「核の非人道性を指摘する共
同声明」に賛同しなかった日本政府に対してどう思われますか。

坪井さん(以下敬称略):私たちからすれば核の非人道的問題は当たり前なんだが、事実核保有大国が認めない以上、共同声明の効力に対する力自体、弱い部分は確かにあります。だからもっと大きな議題にしていかなければいけない。
今回、日本が賛同しないのは絶対にいかんと思います。総理に出す要請文にもそのことについて書いておりますよ。
日本は唯一の被爆国なのだから核兵器の使用は認めない。そして新たな日米の関係を築ければと考えています。
世界の流れとして核兵器の不拡散を求めながら、核を持とうとする勢力もある。
アメリカも核削減をしている一方で新たなる兵器を製
造しているといった矛盾を抱えている、そして地中海周辺の国々の大規模なデモなど戦争に踏み出しかねない状況を感じますよね。一方では平和への動きも各所にみら
れるし、そのことは大きな希望です。そういった事柄から、今の時代は岐路にあるんだと思います。(そういう時代だからこそ)私たちはもちろん平和を築くために、
2015年に行われるNPT核不拡散会議に向けて前向きにいかないといけないと思っています。と同時に、日本政府にもっと国連に対して核廃絶に対して意見力を持って
ほしいですし、私たちはもっと政府に要請していかなければいかんと思っています。

GUY:今年7月6日に亡くなられた山口仙人さん(注1)についてお聞かせください。

坪井:山口さんは最初から日本被団協の中心人物でしたし、我々、後に続いた被団協からの人間からすれば大恩人の一人でした。山口さんで語られるのは国連の大きな場で「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えたことです。
私は付き合い自体はそんなに深くはないんですが、仲間から「仙ちゃん、仙ちゃん」と呼ばれていたし、私も呼んでいました。真面目な方なんだが、仙ちゃんと呼ばれるような気さくな部分を持ってましたね。
ここ数年は病気がちで会うことは少なくなっていましたが、泣き言は言わない人でした。
彼は長崎県五島列島の出身なのですが、あちこちに出かけるために動きやすい長崎市内に引っ越してきたんです。体が悪くなってからは保養施設に住所を移して熱心に活動されてましたね。酸素吸入器をつけて会議に来られたこともあります。
29年もの間、日本被団協の代表委員を務められたのはすごいと思います。私はまだ6、7年ですからね。日本被団協の礎を作り、生涯を捧げた本当にすごい方でした。

GUY:今回(7月21日)の参議院選挙の争点でもある憲法改正と原発再稼働についてどう思われますか。

坪井:96条については3分の2を過半数に変えようと自民は言っていますが、世界をみても3分の2ないし、もっと厳しいところもありますからね。
憲法を変えるためには多くの国会議員、国民が賛成しなければならないと思います。
それを過半数でOKというようなハードルを下げるというのは大反対です。もう一つ、原発については私たちはゼロを求めてますから再稼働については反対です。
原子力規制委員会の安全審査基準を満たしたからといってその原発施設が安全だとは限らない。
これまでは経済優先で考えてきて事故が起きた。その収束もままならない状況で核廃棄物の処理も多額の税金を投入しなければならないだろうし、最終処分場も決まっていないでしょう。
原発の代わりのエネルギーを考えなければいけないと思います。私は人間の知恵は計り知れないと思いますし、信じていますから代替エネルギーは必ずできる(実用化する)と思います。
福島県の子供たちから12人の甲状腺ガンが発見されましたが、チェルノブイリを教訓とすればまだまだ多くの被害者が出るかもしれない。現代の物質中心の社会よりも、まず人の命を第一に考えなければいけないと思います。
私たちが受けた原爆で考えてもウラン235のほんの一部が核分裂して、あの大被害ですからね。核の力を見くびってはいけないと思います。

(注1):1982年、米ニューヨークで開かれた国連軍縮特別総会では、被爆者として初めて国連総会議場で演説。
自分のケロイドの顔写真を振りかざしながら「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と訴え、会場で多くの共感を呼んだ。

GUY:日本被団協と福島県との繋がりについて教えてください。

坪井:日本被団協は震災後、お見舞金として震災を受けた福島県を含む6県に募金を届けました。(その後も見舞金第2次分被災各県に送金)2012年8月6日に浪江町の馬場町長と会って話をしました。
私はその翌月に福島市に行きました。その時に会場で被爆体験を話しました。馬場町長とも再度お話をしました。今年は馬場町長は来られないのですが、浪江町の役員の方が来られるので募金を直接に渡します。
そして今年も浪江町を訪問するつもりです。

GUY:被団協のこれからについて教えてください。

坪井:被爆者は高齢化がありますから何十年後にはいなくなるでしょう。今からは二世が中心に活動してもらわなければならない。
被爆体験の継承、伝承、そして核兵器廃絶をこれからも取り組んでもらいたいのですが、難しいこともあると思います。
ですから平和を真剣に考え、核廃絶を目指す人たちであれば直接、原爆に関係のない人たちの協力も必要だと思います。
そういう流れをこちらから働きかけないといけないと考えています。

GUY:最後にこのZINEを読んでいる方たちへメッセージをお願いします。

坪井:もっとも大事なのは人の命を考える人間になってもらいたい。日常生活の中であれ何であれ、人の命を大事に考えれば戦争などなくなると思います。
もちろん原爆のような恐ろしい兵器で一瞬に何十万人殺すなど二度とあってはいけない。そんな世界は絶対なってはならない。
主義の有る無い関わらず全てのテロも然りです。昨日の新聞で載ってましたが同級生の殺人があったでしょう。(注2)
ひとりだろうが大勢だろうが人を殺すという行為があってはならない。戦争は止むをえない場合があるというように考えている人たちもいますが、そういうことを避けるために人間は言葉を持っているんです。
乗り越えて乗り越えて人は手を繋がないといけない。
そういった大事なことを忘れないためにも「NEVER GIVE UP!!」

(注2):16歳の少女が同級生を殺し死体を広島県呉市の山中に遺棄した事件。インタビュー
前日の7月15日(月)の朝刊に載った。その後、少女のほか6人の男女が逮捕された。

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