50 周年を迎えた「はだしのゲン」に思うこと ガル憎(フリーライター、ギチ、DAZEBAND)

 今年、漫画「はだしのゲン」が50 周年を迎えた。1973 年(昭和48 年)6 月4 日号から「週刊少年ジャンプ」で連載が始まったのだが、これを意外に思う人がことのほか多い。えっ。ジャンプでゲンをやってたの? ぜんぜん雰囲気が合わないよね? たしかに、ジャンプが持つイメージと「はだしのゲン」は相反する部分があるかもしれない。しかし、そこには当時の編集長の強い意志があった。

 まだ創刊したばかりのジャンプではギャグ漫画が主流だった。これは現在とほぼ近いスタイルであり、実際、ゲンは読者の人気投票で上位になることはなかった。やがて社内でも異論が出始め「ジャンプはエンターテインメント雑誌で読者を深刻にさせるものではない」という声が挙がるように。しかし連載を決断した当時の編集長・長野規さんは「この連載には意義がある。想像できないのか!」と一喝。戦後の度経済成長に沸く日本。多くの人が戦争や原爆の体験を忘れ去ろうとしているような「変化の時代」に突入しており、戦争を体験した長野さんはそれを危惧していたという。やがて編集部も、読者も、作品の重要性、意義に気づき、異論が減っていったという。

 この話を聞いた時、自身の地獄のような体験を漫画で表現した故・中沢啓治先生もすごいと思ったが、少年漫画誌で連載させた長野さんもまたすごいと思った。50 年が経過してもなお語り継がれる「はだしのゲン」は、このふたりの存在なくしては生まれなかったのだ。

 迎えた今年、50 周年となる6 月4 日を迎える3 ヶ月ほど前。広島市教育委員会(以下・市教委)が2023 年度の平和教育の小学生向け教材から「はだしのゲン」を削除すると発表。そのニュースは日本中を駆け巡った。削除の理由は「漫画の一部を教材としているため、被爆の実相に迫りにくい」「栄養不足の母親に食べさせようと鯉を盗む場面などについて誤解を与える恐れがある」などさまざま。これに対して私は猛烈な怒りを覚えた。子どもたちが最も理解しやすい漫画というコンテンツ、私も広島の人も県外の人も、学校の図書室や学級文庫で読み、ゲンを通して戦争と原爆の悲惨さを知った。それを削除? 鯉を盗む場面が誤解を与える? いやいや、その意味を説明するのが教師の仕事、それこそ平和教育じゃないか。


 自分と同様に、小誌の責任者であるGUY さんも憤慨していた。すぐに連絡を取り合い、互いに「納得いかん」と語り合った。行動派のGUY さんは市教委に連絡して撤回を要請すると言った。そこから2~3 日が経過しただろうか。GUY さんから連絡があり「ちょっとワシらの考えが違っとったかもしれん」。話を聞くと、市教委の担当の方も「はだしのゲン」が好きであること、我々と同じように学生の時にゲンを読んで影響を受けた人間のひとりであること、そして今回の改訂は決してお役御免という意味ではなく、今後の平和教育について真摯に協議を重ねた上で決定されたことであると説明してくれたらしい。当初はクレームに対するマニュアル的な回答だと感じていたGUY さんだが、約10 日間、何度も何度も話をしていく内に、ひとりの人間として話し合えるようになったというという。その市教委の担当から新教材に選ばれた「いわたくんのおばあちゃん」という絵本のことを聞いたGUY さんは、絵本のモデルにもなった本川小学校資料館のボランティアガイドの岩田
美穂さんからもお話を聞いた。その中で、前述した鯉の話が出てきたらしい。
 病気の母親を助けようとしていたゲンと弟の進次が「鯉の生き血を飲むと病気が治る」と聞き、広い庭のある立派な一軒家、分かりやすく言うとお金持ちの池に忍び込み、庭にある池の中の鯉を盗もうとして家主に見つかる。もちろん怒られるのだが、事情を話すと家主は「もう泥棒なんかするな! 分かったから鯉を一匹やる!」。このシーンには、盗みというやってはいけない行為、母を思う子どもならではの気持ち、さまざまな要素が含まれており、平和教育という意味においては、
ある意味で最適だと私は思っていた。
 しかし。GUY さんが聞いた話によると、いまは昔と違って一軒家が圧倒的に少なく、マンション住まいの家庭が多い、さらに言えば、一軒家でも庭に池があることがほとんど無い。つまり、現在の子どもたちにとっては「庭の池に鯉がいる」ということ自体がリアルではなく、場合によっては池で鯉が飼われていることすら知らない子どももいるらしい。その話を聞いた時に自分はハッとした。たしかに地元の広島ではいまも古い一軒家が多く残っているが、池があっても水を抜いていたりして、鯉どころか池そのものが成立していなかったりする。さらに私が住んでいる東京。上京して30 年になるが、池のある一軒家など見たことが無い。
 加えて言うならば、現代の子どもたちは「水洗トイレ」の意味も分からないのだと言う。これは前述したボランティアガイドの岩田さんが被爆証言のお話をする際、本川小学校には戦時中から水洗トイレを完備していたという説明をしたときに生徒に質問されたそうだが、いまの子供にとってトイレは水洗が当たり前で当時主流の汲み取り式のトイレを知らないから、わざわざトイレの前に「水洗」をつける意味がわからないのだそうだ。私はゲンが削除されると聞いて瞬間的に怒ってしまったが、そのような当時と現代のギャップや実情を聞けば聞くほど、納得というか「そっか…」と思うようになった。

 新教材となった「いわたくんちのおばあちゃん」。GUY さんも私も読ませてもらった。読む前は「ゲンの代わりが務まるほどの作品なのか?」と懐疑的だったが、この作品も被爆者の方の実話に基づいたもので、涙が止まらないほどに素晴らしかった。もう、本当に本当に素晴らしかった。いつしか私は、いや、私もGUY さんも、ゲンが削除されたからといってすぐ怒るのは違う、大事なのは「平和や反戦への想い」を子どもたちに芽生えさせることであり、題材が素晴らしければ、それがなにであってもいいのだと、そう思うようになっていた。
 だからといって「はだしのゲンはもういい」と言っているワケではない。これは自分とGUY さんの共通認識なのだが、はだしのゲンは戦争と原爆の悲惨さを伝える貴重な作品であると同時に、主人公である中岡元と彼を取り巻く家族、そして仲間たちの「群像劇」でもあるということ。原爆ですべてを失った広島で、父親の「お前は麦になれ。厳しい冬に芽を出し、踏まれて踏まれて強く大地に根を張り、まっすぐに伸びて実をつける麦になれ」という言葉を守り、たくましく生きていくゲン。
どんな時も前向きで、元気に遊び、笑う。時にはフザけるし、悪さもする。そして大きくなっていく。読んでいても笑えるシーンがたくさんある。そのゲンの姿こそが「はだしのゲン=反戦漫画」と、ひと言では終わらせられない魅力につながっているのではないだろうか。

 今年から広島東洋カープの監督になった新井貴浩。なにを隠そう彼は「はだしのゲン」の大ファンである。小学生のころ学校で何度も何度も、単行本についた手アカはすべて新井のものだと言われるほど読み、自分自身のバイブルとした。当時の先生には「僕はゲンになりたいんです!」と言い、カープの選手になってからは「初めて読んだときは怖かったですが、目を背けてはいけないという思いでした。戦争の悲惨さを感じるとともに、麦のように踏まれても立ち上がっていく主人公ゲンの精神に惹かれました。その気持ちが小さいころから私に根づいています」と言った。新井は、戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを学ぶと同時に、ある意味ではそれ以上に「ゲンの前向きさ」に感銘を受けていたのだ。

 現在の日本は戦時中ではなく「平和な状態」であるとは思うが、自ら命を絶つ若者や子どもたちが多い時代でもある。1970 年代~1980 年代、GUY さん、私、新井などの子ども時代と違い、様々なプレッシャーの中で生きている現代の子どもたち。そういう子どもたちには是非とも読んでほしい。生活の中で生き抜く力を得ること、現代社会を受け入れ強くなる力を養うこと。そのヒントがゲンの中にはあるような気がする。
 2013 年、島根県の松江市教育委員会が「はだしのゲン」を市内の小中学校の児童、生徒に見せないよう閲覧制限をした。今年、広島市教委が平和教育の小学生向け教材から「はだしのゲン」を削除すると発表した。どちらも私は怒った。世間でも様々な抗議運動、署名活動などが行われた。
しかし、私は怒ったあとに学ぶことがたくさんあった。もしかすると、知らない内に私たちは「はだしのゲン」という作品を「権力」に変えてしまったのかもしれない。本来の「作品力」を「別の力」に変えたところがあったのかもしれない。今回の件で特にそう思うようになったのだ。ある意味ではゲンに依存しすぎていたというか、勝手に自分たちの使者にしていたというか。ゲンを否定する人を否定し、ゲンを排除しようとする流れに対して過敏になる。しかも、そこにどんな理由があるかを確認する前に。考えると恐ろしいことである。

 連載開始50 周年。節目の年。もしかすると、私たちは「はだしのゲン」をもっと自由にさせてあげていいのかもしれない。戦争や原爆の悲惨さを訴える唯一無二の作品、力を持つ作品。広島で生まれ育つとどうしてもそういう気持ちになってしまうけど、そんなカテゴリーから外し「皆さん普通に読んでくださいね」という気持ちでいてもいいのではないか。もっと言えば50年経っても「はだしのゲン」を超える知名度の表現者を生み出せていない世の中、表現者になれていない私たちにも責任があると思うし、これからなれるよう精進していかなければいけない。戦争や原爆、反核や反戦を唱えるたびにゲンに頼ってきた私たちが、これからは自分の言葉や行動を最重視し、伝えていかなければならない。そう思うようになった。
同時に、前述した「いわたくんちのおばあちゃん」、話題になった作品で言えば「この世界の片隅に」。原爆や戦争について伝える絵本や漫画は他にもある。決して「はだしのゲン」だけではない。もっともっと、他の作品にスポットがあたってもいい。いや、そうあるべきだとも考える。

 最後になりましたが、天国におられる中沢啓治先生、そしてその魂を受け継いで頑張っておられる妻の中沢ミサヨさん。はだしのゲン50 周年、本当におめでとうございます。私も、もちろんGUY さんも、これからもゲンの前向きな精神や元気な姿、その生き様を胸に、反戦、反核を唱え、ゲンのように元気に頑張っていきたいと思います。新井もきっと、その精神でカープを優勝に導いてくれるでしょう。またお会いできる日を楽しみにしています。

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