世界と繋がり「成果」を積み上げる~締約国会議に参加して~

(1)はじめに
 私(広島県出身)は被爆地の外で核兵器の問題を考える場を作ろうと思い、「KNOW NUKES TOKYO(以下、KNT)」を立ち上げた。これまで国会議員との面会や若者(30歳以下)の声を集めて「提言書」を作成し、外務省に提出した。オンライン被爆証言会なども行っている。

 私たちはウクライナ侵攻直後から、「NO MORE HIROSHIMA, NAGASAKI」を訴える緊急アクションを広島・長崎の友人と共に展開し、「原爆ドームを1000人で囲むアクション」(実際の参加は800人)を行った。また政治家による「核共有」発言直後に「核共有より核禁止」を訴え、他団体と合同で緊急記者会見を行い、日本のオブザーバー参加を求める「総理!ウィーンに行きましょうキャンペーン」も継続してきた。
 そして、ウィーンでは最後まであきらめず日本政府にオブザーバー参加を迫り、3日間で2万筆を超えるオンライン緊急署名を集め、直談判した。また被爆者のみなさんのサポートを行い、通訳や「Meet the Hibakusha」(被爆者と膝を突き合わせる距離で対話する企画)をコーディネートし、各国の関係者(特に若い同世代)との交流も行った。

これまでの活動を凝縮させた集大成の1週間だったと言えよう。注目すべきは、会議に若い世代が数多く会議に参加をし、活躍したことだろう。国内からは約15名が渡航した。ウィーンの様子を報告し、今後の展望を記したい。(渡航に際してのサポート、感謝いたします。)


(2)締約国会議のポイント~核抑止の否定と2世3世への影響~
 会議全体を通して「核抑止」への批判が投げかけられた印象だ。これは「ウクライナ侵攻にどう対応するか」という問いの答えでもあると思う。日本では核抑止の維持、あるいは拡大抑止の強化が叫ばれているが、締約国会議では全くそうした流れはなかった。長崎から来ていたあるメディア関係者は「こんなに核兵器を”廃絶”しようという前向きな空気の集会は初めてだ」と語っていた。


 「我々は、明示的であろうと暗黙的であろうと、またいかなる状況下であろうと、あらゆる核の威嚇を明確に非難する(宣言第4項)」。こうした内容をベースにした「ウィーン宣言」と50項目の「行動計画」が採択され、次回の締約国会議(2023年11月)までに条約を普及させていく道筋が作られた。
 また今回の会議は、議長のアレクサンダー・クメント大使(オーストリア)の認識が色濃く表れたものだったと言える。「核兵器は今も続く問題で、それは人間のみならず、環境への問題でもある」「2世・3世も被害を受けたコミュニティーの一員である」だ。
 (前後のイベントも含め)会議の中では、日本の被爆者や核被害者が発言し、 「2世・3世に当たる世代」も声をあげた。「被爆2,3世がどのように被爆の記憶を受け継ぐか」をテーマにしたワークショップに登壇したタレーダウダウさんは、被爆2,3世ではないが、フィジーの出身だ。英国がモルデン島・クリスマス島(現キリバス共和国)で行った9回の核実験には、英国などの兵士と共にフィジーから約300人の兵士が動員された。彼女は「核は、コミュニティー全体への被害なんだ。太平洋人として重く受け止めている」と発言。また「血筋だけでなく、土地も、あらゆる源、体験を汚染する」と
繰り返した。長崎の被爆3世の中村涼香も会議でスピーチし、「核兵器の被害が被爆2世・3世にどのような影響をもたらすか明らかになっていません。分からないから怖いのです」と訴えた。


(3)若い世代が世界とつながり「成果」を積み上げた。
 私は、ICANなどと協力し「アドボカシー」に奔走した。各国政府代表(外交官)などに声をかけ、「被害者援助」や「環境回復」(条約6,7条)について、会議内での発言や自国のスピーチにより積極的な文言を入れてほしいと要請したのである。私たちはエルサルバドル、マルタ、チリ、ドミニカ共和国、キリバスなどにアプローチした。マルタ大使に声をかけた際には、「(ヨーロッパに位置する国として)条約の普遍化(12条)に注目していたが、援助の視点についての指針をありがとう」と返答をもらった。また実際に会議で採択された50項目の「行動計画」には私たちの主張が多く盛り込まれた(「国害関係者(stakeholders)と関わり、協働する(行動19)」など)。


 また、KNTでは、ヒバクシャと「カフェ」でお話するように出会い、時間と記憶を共有する場を作りたいと会議内で、「Meet the HIBAKUSHA(被爆者に会おう!)」を開催した。長崎で被爆した川副忠子さん、木戸季市さん、広島で被爆した家島昌志さんをお招きし、一人ひとりを参加者が囲む形式だ。世界から50名近い参加者が集まった。 
 私たちはヒバクシャの代わりにはなれない。けれど、彼らから聞いた体験、ともに過ごした時間を胸に刻むことはできる。その想いを胸に、核廃絶運動が世界中で展開されることも、「継承」の一つの形なのでは。そのお手伝いができた。家島さん「この距離で対話をして、世界の人々の熱気を受け取ることができた」と喜んでくださった。参加者からも、「一番双方向的で良かった」との感想があった。


(4)日本政府は不参加、けれど会議は進む 日本政府は、非人道会議には前3回同様、出席したが、締約国会議には「核保有国が参加していない」(岸田首相、6月16日)などを理由に不参加を発表した。
市民団体「カクワカ広島」が、それらを受け「#総理!ウィーンに行きましょう 締約国会議のオブザーバー参加を求める電子署名」をchange.orgで立ち上げた。6月17日から会議までの4日間の緊急署名だ。初日は伸び悩んだが、翌日午後から猛烈な勢いで署名が伸び、「これだけ多くの人が参加を望んでいるのか」と胸が熱くなった。
ウィーンにいた高橋(カクワカ広島共同代表)は、広島のメンバーやNGO関係者と連絡を取り合い、なんとか政府に意思表明する手段を考えた。そして、非人道会議終了直後に、それまでに集めた2 1 , 0 6 5 筆(最終署名数は23,237筆)を石井良実外務省軍備管理軍縮課長に直談判した。


 「この2万という数をどう捉えるか」と問うたが、残念ながらそれへの回答はなく、「岸田首相が述べている通り、核保有国が参加していないなどの理由で、出席しない」と繰り返した。この様子はTBS『ニュース23』(日本時間6月21日夜)などでも放送され、大きく注目されることとなる。直接訴えられたことは価値があったと思うが、これまで仲間たちとともに、「総理!ウィーンに行きましょう」と働きかけ続けていただけに、思い届かず、非常に悔しい。
 市民社会フォーラム開催中、オーストラリアやオランダが次々とオブザーバー参加を決めた。各国は「”まだ”締約国会議まで数日あるから、そこまでに世界各国は足並みを一歩前に進めよう」とギリギリのところで努力している。日本が不参加の表明をしたのが、6月16日。約1週間前に日本はさじを投げてしまっているのではないか。重要なことは保有国云々ではなくて、日本が意思決定するかどうかではないか。環境が整ってからオブザーバー参加しても「橋渡し」役の意味がない。日本が被爆国としてや
るべきことは、環境が整うことを自ら率先してやることだと私は思う。


(5)まとめ
 今回の渡航を経て、私も含めメンバー全員、多くの経験を積み、自分で役割をつくることを体験した。また、核兵器のない世界という目標に向け動き続けるチェンジメーカーに囲まれていることを実感し、誇らしくもなった。彼らと議論した核兵器と「ジェンダー」や「気候変動」に関する視点を日本に持ち込みたい。
 また具体的な成果を、小さくとも数多く積み重ねることができた。これまでも大人数の代表団が渡航をするが、数人でもこれだけの成果を積み上げられる。工夫し、協力すれば、さらに大きな成果を作り出せる。
 残念ながら「被爆者のいない時代」にも突入している。(被害者援助を加速し、核使用の抑止力とするためにも、)被爆者の体験を条約の中にどれだけ落とし込めるかが、課題だ。企画「Meet the Hibakusha」では、長崎の被爆者に対して、「戦後、政府はどのようなサポートをしたのか」との質問も寄せられていたのはその証拠だ。
 そして、若い世代の中で広がっているのは、「先行世代の決定によって、その影響を受ける(ツケを払わされる)のは自分たち若い世代だ」
という反感だろう。先行世代への反動だ。また「核兵器(核軍縮)の議論に私たち若い世代が含まれていない」という違和感もある。だから「形」だけではない、実質的な参加と貢献を求めているのだ。そして、1人1人が自分の言葉で語るのだ。それは「自分たちの社会は、自分たちで作っていく」という意志の表れでもあろう。同様の理由が、2019年以降、日本国内、特に若い世代による「社会課題解決のためのアクション」や「投票行動を呼びかける取り組み」が活発化している背景にもある。
 ICAN市民社会フォーラムのテーマは、“Ban is our choice”(廃絶は私たちの選択)だった。核兵器を廃絶するか、現状維持で核抑止(拡大抑止)を選択するのか。選択肢は明確に示された。あとは私たちの意志の問題だ。KNTはその選択肢を伝え、共有する空間として、さらに仲間たちとともに楽観視はできないが、地道に前に進み続けたい。

高橋悠太( KNOW NUKES TOKYO 共同代表 )

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